だれをもそしらず、争わず、寛容であって、すべての人に対してどこまでも柔和な態度を示すべきことを、思い出させなさい。
すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。
できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、
「いのちを愛し、 さいわいな日々を過ごそうと願う人は、 舌を制して悪を言わず、 くちびるを閉じて偽りを語らず、
最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、
しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
あなたはその救の盾をわたしに与え、 あなたの助けは、わたしを大いなる者とされた。
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。
むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。
あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
悪口を言う者を世に立たせないでください。 乱暴な人をすみやかに災に追い捕えさせてください」。
わたしは、こんな心配をしている。わたしが行ってみると、もしかしたら、あなたがたがわたしの願っているような者ではなく、わたしも、あなたがたの願っているような者でないことになりはすまいか。もしかしたら、争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、ざんげん、高慢、騒乱などがありはすまいか。
さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。
パウロは言った、「兄弟たちよ、彼が大祭司だとは知らなかった。聖書に『民のかしらを悪く言ってはいけない』と、書いてあるのだった」。
争いを好む女と一緒に家におるよりは、 屋根のすみにおるほうがよい。
偽りをのべる証人、 また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。
しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。
しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。
特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。
今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。
貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。
主は牧者のようにその群れを養い、 そのかいなに小羊をいだき、 そのふところに入れて携えゆき、 乳を飲ませているものをやさしく導かれる。
怒ることの激しい者は罰をうける、 たとい彼を救ってやっても、 さらにくり返さねばならない。